作者つぶやき(2026/7/15更新)
さっきまで死にたくて仕方なかった人が、ささいな道ばたでの会話で、「今までなんで死にたかったんだろう」と思う。
そのとき、その人は死にたいのでなく、ただ会話したかったのです。大人は赤ちゃんみたいに正直になれないために、ついこういうバグが発生するのだろう、と思います。
そういうトラップが人生にはたくさんある。ぼくも昨日、ギーギーうるさくて高すぎる椅子を使うのをやめたら、なんでもかんでも悩んでいたのが、かなり気持ちが軽くなったり…
そう考えると、自殺はバカらしいです。自殺したあの人が、実は部屋の西日が強かっただけとかいうケースが、本人が自覚せずとも、あるかもしれない。ぼくの好きな作家の五木寛之さんは、三島由紀夫と会って、その背の低さが強く印象に残ったと正直に記しています。三島由紀夫だって、もしかして、日本が社会がどうとかいいながら、ほんとうは、解決できない体格のコンプレックスに悩んでいたのだとしたら…?ウーンおそろしい。でもあり得ないことではない。そういうことが結構あるのです。もちろん、背が低いことが醜いことだとは思いません。問題は整形依存と同じく、当人がどう思っているかです。
また、資本主義的な社会構造が、知らぬ間に人の心理にまで及んで、精神的に落ち込む人を増やしているのではないか?とも思います。どういうことかというと、資本主義的な思考になるということは「もっともっと上のランクのものを手に入れようとする」「壊れたらすぐ買い換える」ことです。これを人の生命に置き換えたらどうでしょう。現状に不満を抱き絶えず進歩しようとする、そういうクセがぼくにもあるのですが、もしかしたら資本主義にインプットされた思考のクセかもしれない、と思ったりしています。ウン。考えるほどわからないけど。
とにかくいまいちど、私たちが「直しながら使うこと」をすればどうだろうか。爪を切り、部屋を掃除し、絶えず身の回りをケアする。今自分が乗っている肉体を否定して別の車に乗ろうとするのでなく、今持っている肉体という車そのままに、大事に使っていく。その先に、無条件に、自分が自分であることを愛せる感覚があるのではないか。まったく状況が変わらないのに、自分を好きになれるときとなれないときがある。もしかするとその違いこそが、身の回りや肉体的なケアの度合いに係わっているのではないか…。これを読んでる落ち込んでいる人がいたら、世界を憂う前に、食べ物や部屋の配置を変えてみるのも、いいかもしれません。
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