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・限定単行本「小さな平和」発売中
・「しあわせジョン 五郎と車になった男」連載開始
「しあわせジョン 五郎と車になった男」を公開していけることをありがたく思います。少しずつ描いてSNSに連載しているので、楽しまれるよう願っています。
作者つぶやき(4/3更新)
恩について考えることが多い最近。すごく大きな恩を受けた人がぼくにはいます。こちらが勝手に思うだけかもしれませんが、受けすぎて罪悪感が生まれたりもします。その人に恩を返したいと思うことがあったのですが、何か違和感がある。なんだろうと心を掘り下げると、恩に囚われ執着している自分に気づきました。
そもそも恩を「計算」し、恩知らずと言われたくないという保身が少しでもある時の恩返しにろくなことはないのかもしれません。自分の心の汚れを見つけてしまい呆れてしまいました。
人から受けた恩は、すぐにその人に返さなくてもいい、もしくは自分の立場が人を助けられる側に変わった時に、過去の自分と同じように苦しむ人を救えばいい、のかもしれません。
もっと言えば、恩とか、与え合いという言葉ほど怖いものもない。それを意識した時点で奇妙な形になる気がします。無意識で人を救ったり、助けたり、喜ばせあっているというのが一番いいのかもしれません。
哲学者のセネカも恩の危険性を語っていたとかなんとか。本で読みましたが、詳細は忘れたのでぜひ検索していただければと思います。
しかし、自分のことでいっぱいじゃいけませんね。単なる言い訳みたいになるのがもっとイヤです。余裕を持って、来たるべきときに、本当の恩返しをしたいものです。こんな言葉もありました。
「昼食や夕食の会を催すときには、友人も、兄弟も、親類も、近所の金持ちも呼んではならない。その人たちも、あなたを招いてお返しをするかも知れないからである。宴会を催すときには、むしろ、貧しい人、体の不自由な人、足の不自由な人、目の見えない人を招きなさい。そうすれば、その人たちはお返しができないから、あなたは幸いだ。」
――ルカによる福音書 14章 12-14節
ルカの福音書も、そろそろ読んでみたいです。
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